ホヒト》の像で示されたのである。譬へば、日向岩川八幡の大人《オホビト》弥五郎の様なものが出来た。さうして、此が八幡神の行列には必、伴神として加はつた。日本の巨人《キヨジン》伝説には、此行列の印象から生れた、と考へられるものがある。証拠は段々とある。らしよなりずむ[#「らしよなりずむ」に傍線]に囚はれた人類学・考古学の連衆は、無反省に、先住民族を持ち出すが、尠くとも、日本の巨人伝説を考へるには、此行列の印象のある事を忘れてはならない。九州で大人弥五郎と言ひ、中国で大太郎法師と言ひ、平家物語にはだいたら[#「だいたら」に傍線]法師とある様に、此印象が、殆全国に亘つて、伝説化せられて居る。勿論其には、沼を作り、山を担いだなどゝある、一代前の巨人伝説が、結びついても居る。此二者が結合して、新しい巨人伝説が出来た、と見るのがよろしいであらう。大太郎法師を高良《カウラ》明神とし、高良明神を武内宿禰に仮托したのは、八幡神を、応神天皇に附会した為の誤解からである。それでも、脇座《ワキザ》の神としての印象だけは、採り入れて居る。
八幡神の伴神でも、まだ御子《ミコ》神としての考への出ない前のものが、即、才《サイ》の男《ヲ》である。伴神が二つに分れて、既に服従したものと、尚、服従の途中にあるものとに分れた。才の男に、からかひ[#「からかひ」に傍点]かける態のあるのは、あまのじやく[#「あまのじやく」に傍線]と称する伝説上の怪物・里神楽のひよつとこ[#「ひよつとこ」に傍線]などゝ同じやうに、尚服従の途中にある事を示して居るのである。巨人《オホビト》の方は、既に服従したものである。だから行列に於いて、前立となるのである。

     三 才の男・細男・青農

才の男は、せいのう[#「せいのう」に傍線]とも発音したらしい。青農と書いたものがある。又、細男と書いて、せいのう[#「せいのう」に傍線]と訓ませても居る。共に、此場合は、多く人形《ニンギヤウ》の事の様であるが、才の男の方は、人である事もあつた。平安朝の文献に、宮廷の御神楽《ミカグラ》に、人長《ニンヂヤウ》の舞ひの後、酒一巡して、才の男の態がある、と次第書きがある。此は一種の猿楽で、滑稽な物まねであつたと思はれる。「態」とあるによつて、わざ[#「わざ」に傍線]・しぐさ[#「しぐさ」に傍線]を、身ぶりで演じた事が示されて居る。
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