と言ふことになつて居る。穢れを移す人形とは、撫《ナ》でもの・形代《カタシロ》・天児《アマガツ》などの名によつて呼ばれるものである。此は、別のものに代理させる、と言ふ考へから出て居る。或は、道教の影響が這入つて居るとも思はれる。
日本には、かなり古くから、天児《アマガツ》・お伽這子《トギバウコ》の類を身近く据ゑて、穢禍を吸ひ取らせる、と言ふ考へはあつた様だ。人形を恐れる地方は、現在もある。畏敬と触穢を怖れる両方の感情が、尚残つて居るのだと思ふ。だから此が、玩び物になるまでには、相当の年代を経た事も考へられる。恐らく、人形を玩ぶ風の出来た原因には、此座右・床頭の偶像から、糸口がついたとだけは言へさうだ。が、此が人形の起原であり、雛祭りも其から起つたなどゝは、まだ見られさうにない。
要するに、三月・五月の人形は、流して神送りする神の形代を姑く祀つたのが、人形の考へと入り替つて来た、と見るのがよい。五節供は、皆季節の替り目に乗じて人を犯す悪気のあるのを避ける為のもので、元は支那の民間伝承であつたと共に、同じ思想は、日本にもあつた。この季節に、少女が神を迎へる資格を得る為のものいみ[#「ものいみ」に傍線]生活をする風習のあつた事は前に述べたが、重陽を後の雛と言ひ、七夕にも、此を祀る地方がある事、又、今も北九州に行はれる、八朔の姫御前《ヒメゴジヨ》などから考へれば、此季節に、やはり神を迎へ、神送りをした風習のあつた事は、いよ/\確かだと言へる。
神を迎へるのと、祓除をするのとは、形は違ふけれども、悪気を避ける為と言ふ事では、一つであつた。つまり、迎へた神を送る為の、神の形代流しと、祓除の穢禍を背負うた形代流しとが、結びついて出来たのが、雛祭りである。さうして、一家の模型を意味したひゝな[#「ひゝな」に傍線]の家を作つて、それに穢れを移して流したのが、古い形であつたのだが、いつかこの雛に、金をかける様になつて、流さぬ様になつたのだと思ふ。先、此だけの順序を考へて置く。

     一一 箱の中の人形

雛祭りに関聯して、是非考へて置きたいものは、ちぎびつ[#「ちぎびつ」に傍線]である。今でも雛壇には、此が持ち出されるが、昔は、此に雛祭りの調理を詰めて、育てゝくれた乳母などへ、くばりものをした。何故此が、雛祭りに持ち出されるのか、其には理由があると思ふ。
一つの想像は、此ちぎびつ[
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