し、別れを惜しみ、泣く様なぞをして、二体づゝさんだはら[#「さんだはら」に傍線]にのせて、河に流す風習が、江戸時代まであつた。更に上総の東金《トウガネ》では、今でも、此日を野遊びの日と言うて、少女達は岡に登り、川に向つて「来年もまたござらつしやれ、おなごり惜しや/\」と繰り返す。
蕪村の句に「箱を出る顔わすれめや雛二対」と言ふのがある。雛二対の意味は訣りかねるが、とにかく、此句は、雛が半永久的のものになつて、箱を出る顔に印象のあることが言はれてゐる。併し、前の二つの例を見ても訣るやうに、以前は、祭りがすむと、此を水に流した。更に古い処では、たゞ「おなごり惜しや」とだけを言うた。ものいみ[#「ものいみ」に傍線]をして、聖なる少女の資格で接待した神を、祭りの後に送るのである。此が雛の節供の古い形であつた様だ。
一〇 神送りと祓除との結合
茲で、一体ひな[#「ひな」に傍線]とは何かを考へて見たい。都《ミヤコ》では、既に平安朝の中期に此が人形《ニンギヤウ》になつて居た文献がある。紫式部日記・枕草紙などで見ると、ひゝな[#「ひゝな」に傍線]はお館《ヤカタ》を作つて祭つた事が記されて居る。ひゝな[#「ひゝな」に傍線]のやかた[#「やかた」に傍線]と言うたのは後で、以前はひゝな[#「ひゝな」に傍線]の家と言うたらしい。
ひな[#「ひな」に傍線]の語原については、まだはつきりしたものを掴んで居ないが、此だけのことは言へさうだ。ひゝな[#「ひゝな」に傍線]と言うたのは、長音符を発明しなかつた時代に、長音を表すのに同音を重ねた――帚ははゝき[#「はゝき」に傍線]・蕗をふゝき[#「ふゝき」に傍線]と言うた様に――のではなかつたか。ひな[#「ひな」に傍線]はひな型[#「ひな型」に傍点]の意で、一家・主人の生活のひな型[#「ひな型」に傍点]ではなかつたらうか。
そして此を河に流したのは、上巳が祓除《ミソギハラヒ》の日であつた事に結びついたのだと思ふ。即、一家のひな型[#「ひな型」に傍点]を作つて、其に穢れを背負はして流す、と考へたのである。尚其には、神を送ると言ふ思想も混合した。つまり、穢れを流すと言ふ事と、神を送ると言ふ事とが、くつゝいたのである。
従来の学者の説明では、此穢れを移して、水に流すはずの紙人形が流されないで、子供・女の玩《モチアソ》び物になつたのが雛祭りの雛だ、
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