「お方」を以て呼んでゐるのであらう。思ふに、日本の古代からの信仰では、他所から来る者は大きな神であつて、精霊は土地の所属となつてゐるのであるから、精霊を他所に送り出すと言ふことは、実際は、不可能であつたのである。それ故、すべての凶害は、他所から来る神に、附属せしめて考へたのであらう。
虫送りの人形は、凶悪な精霊の様にも見えるが、同時に、凶悪を一身に背負つて、遠国に去つてくれる主神でもあつた。此送り人形は、後に化成して、生き物になると考へられて居た様だ。河童も、藁人形の変化である。藁人形が稲虫になる、と信ぜられたのも無理はない。
七 草人形の信仰
我が国の伝説では、稲虫の発生に於ては、尠くとも横死した人の化成を、原因と説いてゐる様である。其中、特に多く言はれて居るのは、斎藤実盛に仮托して説かれて居るものであるが、これの大きな原因と考へられるものは、琵琶僧が、凶悪除けに語つた物語から、出て居るのであらうと言ふ事だ。語られた主人公の強さになぞらへて、追ひ払ふと言ふ思想が、本来あつたからだと思ふ。幸若で、戦記物が歓ばれたのなども、其家に祟る怨霊を退散せしめる為には、其に似た英雄の物語をする事は、怨霊が其英雄と同格扱ひにされた、と思うて退散する、と言ふ風な考へがあつた様だ。
其外には、さなぶり[#「さなぶり」に傍線]の時に作る田の精霊、或は巫女を形どつた――苗を組んで作る――さなぶり[#「さなぶり」に傍線]人形の形式が、虫送りの時にも、まなばれた為だと言ふ事も、考へて見る必要がある様だ。田の神として、祀つて置くのだから、虫の出た時に、此に背負はして出すのである。併し此考へは、尠くとも送り人形の正統ではなく、寧、怨念を懐いて殺された者が、稲虫になると言ふ考へ方の、元をたづねて見なければならない。そこに出て来るのが、虫送りの草人形《クサヒトガタ》である。尠くとも、日本の国の信仰では、最初の蒭霊《クサヒトガタ》をすさのを[#「すさのを」に傍線]の命と考へて居る。高天原を追はれるとき、全裸にせられた為に、道で青草束を身につけた事になつて居る。古くから、この青草は、身体とつかず離れずの関係にあつて、それが蓑の形にもなつて居るのだ。だが、元は皮膚其ものである。
更に言へば、みの[#「みの」に傍線]と言ふ言葉は、みのしろ[#「みのしろ」に傍線]――身の代り――の語尾脱略で、み
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