へ人形系統のだし[#「だし」に傍線]人形は、祭りに臨む神を迎へて、服従を誓ふ精霊の形の変化ではあるが、此が逆に、祭礼に来臨する神其ものゝ形にもなるのである。同じ事は、虫送りの人形に於ても言へる。或は、ひな祭りの人形に於ても言へるのだ。

     六 虫送り人形

虫送りの人形は、多く禾本科《クワホンクワ》の植物を束《タバ》ねたもので作るのだから、畢竟|藁人形《ワラニンギヤウ》であるが、此に於ても、やはり手を問題にして、足を言はない。足はたゞ、胴の延長であるに過ぎない。此手は、或は進歩して、離宮八幡の青農のやうに、二つながら動くものが出来て居たかも知れないが、多くは、拡げたまゝのものである。此ははたもの[#「はたもの」に傍線]の形であつて、古代の信仰に於ては、磔刑《タクケイ》の形式と、共通して居る。雄略紀に見えて居る百済《クダラ》の池津媛《イケツヒメ》、並びに其対手の男を、姦淫の罪によつて、仮※[#「广+技」、第4水準2−12−4]《サズキ》――後世の櫓《ヤグラ》の類――の上にはたもの[#「はたもの」に傍線]とした、など言ふ記事から見ると、罪によつて罰せられると言ふ事は、同時に、神のものになる事で、神に服従すると言ふ考へに這入つて来る。延いては、凶事のある時、其代表者としての天津罪・国津罪の者が選ばれて、神に進められると言ふ考へから、さうした罪人、或は罪人の姿を以て、儀礼の中心――形式に於ては、先頭になる事もある――とする様になつた。此手の前に合はさつたのが、大人弥五郎である。後手に廻つた方の人形の形は、此がだん/\説話化されて、稲につく螟虫の蛹のあまのしやぐま[#「あまのしやぐま」に傍線]・おきく[#「おきく」に傍線]虫と言ふ様なものにまで、附会せられる事になつた。だから、大人弥五郎に於ても、神の束縛を受けて、神の為に働くと言ふ意味のある事は、忘れる事が出来ない様である。
虫送りの人形が、お迎へ人形に対して、送り人形であるのも面白い。たゞ、これが送られる人形か、送る人形か、或は、時としては、神か精霊かも訣らなくなつてさへ居る。友人早川孝太郎さんと見た、三河田峯の村境の山に、くゝりつけられてあつたおかた[#「おかた」に傍線]人形は、神送りに送られる神の様に見えて居るけれども、実は、送つて出た精霊と、巫女とを兼ねたもの、とも見える。それで、主婦・刀自《トジ》を意味する
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