沖にあるとの義――」とある。此小唄から見ると、夷神が海から来て、上陸する前に、一時休憩する場所があつた様だ。だから、古い形を考へて見ると、夷神が人形でなく、迎へに行くのが、人形であつたのだ。此が、夷かき・夷舞はしの人形に、変化して来たのである。
西の宮の吉井太郎さんは、私の友人で、疾うから、かう言ふ点に留意されて居る筈だが、尚御参考になるなら、百太夫の社が、何故夷の社に附属して居るかについて申して見たい。此は、近世風に言ふと、夷神のお迎へ人形の居る処で、更に、神社の建て物配置から見ると、主神に対して、矢大臣・左大臣の位置に居る事になつて居る。だから、此を古い形にして見ると、主神に対して、大人神が附属して、其社地を護つて居るのと、一つでなければならない。私は、夷神自身が、人形でなかつた事を言うて置く。其方が、今の西の宮の社の事情ともぴつたり合うて、都合がいゝやうである。
くゞつ[#「くゞつ」に傍線]の遣うた人形は、くゞつ[#「くゞつ」に傍線]自身の仕へる神であつた。其は八幡神などの主神に対しては、精霊の位置にあるものである。尠くとも、我が国の古代の論理から云へば、或種族が、他の種族に降服すると言ふ事は、同時に、祖先の奉仕してゐる神と共に、降服して居つたと言ふ事になるので、歴史的に飜訳して言ひ換へると、祖先の神以来、服従して居つたと言ふ事になるのである。だから、征服せられ、降服したとしても、必しも、信仰をまで捨てる必要はなかつた。奴隷階級であつても、信仰だけは、支配階級のものを、其まゝ受け入れなくともよかつた。後々まで、寺と寺の奴隷・社と社の奴隷・豪族と被管との間などに於て祀る神仏の、別々のものである事を認めて居たのは、此長い歴史的理由からであつた。
くゞつ[#「くゞつ」に傍線]は海部《アマベ》の一部であるが為に、海部の祀る神は、海部降服の後は、主神たる八幡神に対しては、精霊の位置に置かれた訣だが、其でも、彼等はやはり、祖先伝来の神に奉仕した。此がくゞつ[#「くゞつ」に傍線]の仕へる百太夫である。
断らなければならぬ事は、百太夫或は才の男は、元はお迎へ人形であつたのだが、いつか迎へられる神と合一して、一体となり、新しい主神に対して、従属関係を持つ様になつた。此意味に於て、完全に、此人形がくゞつ[#「くゞつ」に傍線]の神となつたのだ。
かうして見ると、社々の祭礼に出るお迎
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