も、正しい姿に直して見れば、常に、水の神及び、其一類であつた。尠くとも、ある時代まで、さう考へて迎へもし、招かれても来たのである。勿論水の精霊等は、人の仮りに扮装したものである。其が何時か、唯の人の姿で出て来る様になる。一方、又近代では、苗を束ねた人形や、役のすんだ案山子《カヽシ》を正客とする程神を空想化してゐる処もある。水の神の為のふるまひ[#「ふるまひ」に傍点]と言ふ事を忘れて後も、何だか、水の神に関聯した行事の様に思ふ心は残つてゐる。其が、膳椀の貸してに、水の神を定めた理由である。話は逆に聞えるであらうが、此が伝説上には、正しい推理なのである。
頭の皿を言ふ前に、まづ椀貸しとの関係の結論を述べて置く。河童とまで落ちぶれない神の昔から、皿を頂いてゐると言ふ伝へがあつて、其で、水の神がさう言ふ器具を持つて居る、との考へが導かれたのだらう。膳椀は、水中に何処にあるか、其とも河童の皿の中の、無尽蔵の宝と共に這入つてゐるのか、此は後に説く。ともかく、河童の皿は、昔からあゝした小型の物と考へてゐたか。此も亦、問題である。河童は、水の神であり、又其眷属とも考へられる。其ほど、或時は霊威を発揮し
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