具のなかつた時代には、此話はなかつたかと言ふと、其頃相応な客席の食器を考へてゐた事も考へられる。だが、其から溯ると、此が伝説でなく、生活そのものであつた時代に行き当る。
平安朝以後の公家生活には、時々行はれる大饗などが大事件であつた。高官が昇進すると、一階上の上官を正客(尊者といふ)として、大規模な饗宴を催したものである。其夕方、尊者来臨の方式がやかましかつた。宴席の様子が又、不思議なものであつた。まるで、神祭りの夜に、神を迎へる家の心持ちが充ちてゐた。私は、日本の宴会は、都が農村であつた時代から、大した変化もなくひき続いたもので、すべては、神の来る夜の儀式を、くり返してゐたものと信じてゐる。
饗宴用の食器に違ひない朱器(盃)・台盤(膳)を、何よりも大切な重宝としたのは、藤原家であつた。大きな藤原一族の族長たる氏《ウヂ》の上《カミ》の資格は、此食器の所在によつて定まつたのである。宮廷における三神器の意義に近い宝だつたのである。此は、藤原良房の代に作られたものだと言ふ。私は、其時を食器の歴史に革命があつて、古い物を改修した時だと考へて居る。何にしても、食器にさうした意義の生じたのは、氏の
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