る、と言つた方法さへあつた様である。中古以後、秋の相撲節《スマフノセチ》に、左方の力士は葵花、右方は瓠《ヒサゴ》花を頭へ挿して出た。瓠は水に縁ある物だから、水の神所属の標らしく、さうして見ると、葵は其に対立する神の一類を示すものであらう。必しも加茂とも考へられぬが、威力ある神なのであらう。瓠花も、瓢も、他の瓜で代用が出来た。
だが、なぜ後世渡来の胡瓜をば、水の精霊の好むものと考へたのだらう。恰好は、稍瓠の小形なものに似て、横に割つた截り口が、丸紋らしい形を顕してゐる。祇園守りの紋所だと言ふ地方が広い。瓜の中に神紋らしいものゝ現れて居り、ひねる[#「ひねる」に傍点]となかご[#「なかご」に傍点]が脱けて了ふ。「祇園祭り過ぎて胡瓜を喰ふな。中に蛇がゐる」との言ひ習しも、いまだに、各地に残つてゐる。祇園は異風を好んだ神である。此神の為にはかうした新渡の瓜を択ぶ風が起つた為とも考へられる。瓜に顔を書いて流す風もあつた。胡瓜に目鼻を書くと、いぼ/\の出た恐しい顔になる。この怖い顔した異国の瓜を、他界から邪悪を携へて来た神の形代として流し送る。かうした考へから、夏祓への川祭りに、胡瓜が交渉を持つ様
前へ 次へ
全36ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング