になつたのであらう。其が次第に、水の神への供養と言ふ様に、思はれて行つたのではないか。其で、河童の好物を胡瓜とする考へが、導かれて来たと思はれる。
[#「全身薄墨ヌリ」のキャプション付きの河童の図(fig18395_09.png)入る]
三 河童の馬曳き
馬も牛も、人と同じ屋根の下に起き臥しゝてゐた。田舎では、今も牛部屋、厩を分けないで居るのが多い。かうした人間の感情を稍理解する畜類に対しては、やはり一種の祓への必要を感じ出したのである。二月頃に、多くは午の日だが、縁日の日どりに従うて、外の日にする事もある。牛馬を曳いて、山詣りをする。此は御事始めの日から初まる田の行事の為に、田に使ふ畜類に、山籠りをさせる風の変化したものである。牛の方にまづ行はれた事が、馬にも及んだらしい。後には馬の用途が広まつて、馬の山詣りが殖えて来、午の日を、春祭りの縁日とする社寺を択ぶ様にもなつた。
田植ゑが過ぎると、牛には休養の時が来る。馬には、其がない。牛の※[#「牛+子」、287−5]が生れると、其足形を濡れ紙にとつて、入り口の上に貼る。既に祓へのすんだ、牛ばかりゐる標である。悪霊の入り来て
前へ
次へ
全36ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング