形などの手は、皆|心《シン》は、竹や木である。草を絡んだ一本の棒を両手としてゐる。其で引けば、両方一時に抜けて来るとも言はれた。みんつち[#「みんつち」に傍点]の語自身が和人《シヤモ》のものである様に、恐らくは此信仰にも、和人の民俗を含んで居ると思ふ。
草人形が、河童になつた話は、壱岐にもある。あまんしやぐめ[#「あまんしやぐめ」に傍点]は、人の村の幸福を呪うて、善神と争うて居た。土木に関しての伝への多い、此島の善神の名は、忘れられたのであらう。九州本土の左甚五郎とも言ふべき、竹田の番匠の名を誤用してゐる。ばんじよう[#「ばんじよう」に傍点]とあまんしやぐめ[#「あまんしやぐめ」に傍点]が約束した。入り江を横ぎつて、対岸へ橋を架けるのに、若し一番鶏の鳴くまでに出来たら、島人を皆喰うてもよい、と言ふのである。三千体の藁人形を作つて、此に呪法をかけて、人として、工事にかゝつた。鶏も鳴かぬ中に、出来あがりさうになつたのを見たばんじよう[#「ばんじよう」に傍点]は、鶏のとき[#「とき」に傍点]をつくる真似を、陰に居てした。あまんしやぐめ[#「あまんしやぐめ」に傍点]は、工事を止めて「掻曲放擲《
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