顕《あらわ》れる生命も、此を見出してくれる人がない間は、一種の技工として、意識せられ、当人の屡《しばしば》同一手法に安住することは勿論、追随者によって摸倣《もほう》せられるのである。島木赤彦が苦しんで引き出した内律、そうして更に其に伴って出た生命は、一片の技工に化して了った様な場合の多かった事を思う。茂吉さんの見出した新生命は、其知識を愛する――と言うより、知識化しようと冀《ねが》う――性癖からして、『赤光』時代には概念となり、谷崎潤一郎の前型と現れた。
正岡子規に戻って見る。この野心に充ちた気分からは、意識的に動きそうに見えながら、態度はその反対に、極めて関心のないものであった。その平明な日常語を標準とした表現と、内容としての若干の「とぼけ」趣味が、彼の歌を新詩社一流の、あつい息ざしを思わせるものとは懸け離れた、淡い境地を拓《ひら》かしたのである。
芭蕉には「さび」の意識があり過ぎて、概念に過ぎないものや、自分の心に動いた暗示を具体化し損じて、とんでもない見当違いの発想をしたものさえ多い。「くたぶれて、宿かる頃や 藤の花」などの「しおり」は、俳句にはじまったのではなく、短歌の引き継ぎ
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