想にした連俳出の俳句が、本質の上に求心的な動きを欠いて居る事は、確かである。此点に於て、短歌は俳句よりも、一層生命に迫って行く適応性を持って居ることは訣《わか》るであろう。唯、明治・大正の新短歌以前は、その発生の因縁からして、かけあい[#「かけあい」に傍点]・頓才《とんさい》問答・あげ足とり・感情誇張・劇的表出を採る癖が離れきらないで居た。其為に、万葉集以後は、平安末・鎌倉初期に二三人、玉葉・風雅に二三人、江戸に入って亦四五人、此位の纔《わず》かな人数が、求心努力を短歌の上に試みたきりである。だから此点から見れば、短歌の匂いを襲《つ》いで、而も釈教歌から展開して来たさび[#「さび」に傍点]を、凡人生活の上に移して基調とした芭蕉の出た所以《ゆえん》も、納得がゆく。同時に長い年月を空費した短歌から見ると、江戸の俳句の行きあしは遥かに進んで居る。
而も俳句がさび[#「さび」に傍点]を芸の醍醐味《だいごみ》とし、人生に「ほっとした」味を寂しく哄笑《こうしょう》して居る外なかった間に、短歌は自覚して来て、値うちの多い作物を多く出した。が、批評家は思うたようには現れなかった。個性の内の拍子に乗って
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