して深い生命の新しい兆しは、最鋭いまなざしで、自分の生命を見つめている詩人の感得を述べてる処に寓《すま》って来る。どの家の井《いど》でも深ければ深い程、竜宮の水を吊り上げる事の出来る様なものである。此水こそは、普遍化の期待に湧きたぎっている新しい人間の生命なのである。叙事の匂いのつき纏《まと》った長詩形から見れば、短詩形の作物は、生命に迫る事には、一層の得手を持っている訣《わけ》である。

   短詩形の持つ主題

俳句と短歌とで見ると、俳句は遠心的であり、表現は撒叙式である。作家の態度としては叙事的であって、其が読者の気分による調和を、目的としているのが普通である。短歌の方は、求心的であり、集注式の表現を採って居る。だから作物に出て来る拍子は、しなやかでいて弾力がある。読者が、自分の気持ちを自由に持ち出す事は、正しい鑑賞態度ではない。ところが芭蕉の句はまだ、様式的には短歌から分離しきって居ない。それは、きれ字[#「きれ字」に傍点]の効果の、まだ後の俳句程に行って居ない点からも観察せられる。芭蕉の句に、しおり[#「しおり」に傍点]の多いのも、此から出て居る。併しながら元々、不離不即を理
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