るものか、と其頃もっとわからずや[#「わからずや」に傍点]であった私は、かまわず、そうした啓蒙《けいもう》批評をいい気になって続けて居た。今世間に行われて居る批評の径路を考えて見ると、申し訣ないが、私のやった行きなり次第の分解批評が、大分煩いして居るのに思い臻《いた》って、冷汗を覚える。此が歌壇の進歩の助勢になった事だったら、どんなに自慢の出来る事かと思うと残念だ。其私自身が言うのだから、尠くとも、此方面に関してだけは、間違いは言わない筈である。
難後拾遺集・難千載集以後歌集の論評は、既に師範家意識が出て居て、対踵地《たいしょうち》に在る作者や、団体に向けての排斥運動だったのである。私にも、そうした師範家に似た気持ちが、全然なかったとは言えないのが恥しい。その如何にも批評らしい批評がいけないとすれば、どんな態度を採るのが正しいのであろう。
批評の本義を述べ立てるのは、ことごとしい様で、気おくれを感じるが、他の文学にそうした種類の「月毎評判記」めいたものが行われて居るから、少しは言ってもさしつかえのない気がする。批評は作物の従属でないと言う事は、議論ではきまって居る様でいて、実際はなかな
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