時としては邪推さえしてまで、丁寧心切を極めて居る批評は、批評と認めないのかといきまく人があろう。私は誠意から申しあげる。「そうです。そんな批評はおよしなさい。宗匠の添刪《てんさん》の態度から幾らも進まないそんな処に※[#「彳+詆のつくり」、第3水準1−84−31]徊《ていかい》して、寂しいではありませんか。勿論私も、さびしくて為方がないのです。」居たけ高な[#「居たけ高な」に傍点]と思われれば恥しいが、此だけは私に言う権利がある。実はああした最初の流行の俑《よう》を作ったのは、私自身であったのである、と言う自覚がどうしても、今一度正しい批評を発生させねば申し訣《わけ》のない気にならせるのである。海上胤平翁《うなかみたねひらおう》のした論難の態度が、はじめて「アララギ」に、私の書いた物を載せて貰う様になった時分の、いきんだ、思いあがった心持ちの上に、極めて適当に現れて居たことを、今になって反省する。歌は感傷家程度で挫折《ざせつ》したが、批評の方ではさすがと思わせた故中山雅吉君が、当時唯一人、私の態度の誤りを指摘して居る。なんの、そんな事言うのが、既に概念論だ。これほど、実証的なやり口があ
前へ 次へ
全32ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング