。赤彦の死は、次の気運の促しになるのではあるまいか。いや寧《むしろ》、それの暗示の、寂《しず》かな姿を示したものと見るべきなのだろう。
私は歩きながら、瞬間歌の行きついた涅槃那《ねはんな》の姿を見た。永い未来を、遥かに予《か》ねて言おうとするのは、知れきった必滅を説く事である。唯近い将来に、歌がどうなって行こうとして居るか、其が言うて見たい。まず歌壇の人たちの中で、憚《はばか》りなく言うてよいことは、歌はこの上伸びようがないと言うことである。更に、も少し臆面ない私見を申し上げれば、歌は既に滅びかけて居ると言う事である。
批評のない歌壇
歌を望みない方へ誘う力は、私だけの考えでも、尠《すくな》くとも三つはある。一つは、歌の享《う》けた命数に限りがあること。二つには、歌よみ――私自身も恥しながら其一人であり、こうした考えを有力に導いた反省の対象でもある――が、人間の出来て居な過ぎる点。三つには、真の意味の批評の一向出て来ないことである。まず三番目の理由から、話の小口《こぐち》をほぐしてゆく。
歌壇に唯今、専ら行われて居る、あの分解的な微に入り、細に入り、作者の内的な動揺を洞察――
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