ればよい。其感銘を、認識不熟のままに分解した上に、学問の見てくれ[#「見てくれ」に傍点]が伴うからいけないのだ。私は、此等の人々に、ある期間先輩の作風をなぞった後、早く個性の方角を発見して、若きが故の賚《たまもの》なる鮮やかな感覚を自由に迸《ほとばし》らそう、となぜ努めないのか、と言いたい。併し、此は無理かも知れない。短歌の天寿は早、涅槃《ねはん》をそこに控えて居る。私は又、此等の人々から、印象批評でもよい、どうぞ分解しないで、其まま聞かして貰いたいと思う。何にしても、あまりに享楽者が多い。短詩国の日本に特有の、こうした「読者のない文学」と言った、状態から脱せない間は、清く厳かに澄みきった人々の気息までも、寝ぐさい息吹きが濁し勝ちなのである。

   短歌の宿命

何物も、生れ落ちると同時に、「ことほぎ」を浴びると共に、「のろい」を負って来ないものはない。短歌は、ほぼ飛鳥《あすか》朝の末に発生した。其が完成せられたのは、藤原の都の事と思われる。一体、日本の歌謡は、出発点は享楽者の手からではなかった。呪言《じゅごん》・片哥《かたうた》・叙事詩の三系統の神言が、専門家の口頭に伝承せられてい
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