。唯の閑人《ひまじん》の為事《しごと》なら、どうでもよい。文学に携る人々がこれでは、其作物が固定する。白状すれば、私なども僭越《せんえつ》ながら其発頭人の一人である。作物の上に長く煩いした学問の囚《とらわ》れから、やや逃げ道を見出したと思って、私のほっと息つく時に、若い人々の此態度を見るのである。けれども、此方面に於ける私の責任などは、極々軽微なものである。がら[#「がら」に傍点]が大きいだけに影響も大きかった茂吉の負担すべきものは、実に重い。童馬漫語類の与えた影響は、よい様で居て極めてわるいものである。でも其はなぞる[#「なぞる」に傍点]者がわるいので、茂吉のせいでは、ほんとうの処はないのである。
私は、気鋭の若人どもの間に行き渉《わた》って居る一種の固定した気持ち、語を換えて言えば、宗匠風な態度に、ぞっとさせられる。こうした人々の試みる短歌の批評が、分解批評や、統一のない啓蒙《けいもう》知識の誇示以上に出ないのは、尤《もっとも》である。私はそんな中から、可なりほんきな正しい態度の批評を、近頃聴くことが出来て、久しぶりの喜びを感じた位である。寧《むしろ》、素朴な意味の芸術批評でも試み
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