歌人の享楽学問
この様に考えて来ると、信頼出来る様に見えた古人の気魄《きはく》再現の努力も、一般の歌人には、不易性を具《そな》えぬ流行として過ぎ去りそうである。年少不良の徒の歌に、私は屡《しばしば》、飛びあがる様に新しくて、強い気息を聴いて、密《ひそ》かに羨《うらや》み喜んだ事も、挙げよとなら若干の例を示す事が出来る。不良のともがらも、其生命を寓《ぐう》するに適した強い拍子に値うて、胸を張っていたのだ。其程感に堪えた万葉風の過ぎ去るのは、返す返すも惜しまれる。歌壇に遊ぶこうした年少不良で、享楽党の人々は、万葉ぶりに依ってこそ、正しい表現法を見出すことが出来たのだ。其が今後、段々気魄の薄い歌風の行われようとする時勢に、どう言う歩みをとることであろう。
私の今一つ思案にあぐねて居るのは、歌人の間における学問ばやりの傾向である。此は一見|頗《すこぶる》結構な事に似て、実は困った話なのである。文学の絶えざる源泉は古典である。だからどんな方法ででも、古典に近づく事は、文学者としてはわるい態度ではない。けれども、其も、断片知識の衒燿《ひけらかし》や、随筆的な気位の高い発表ばかりが多いのでは困る
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