正を保って居ながら、ある点に達すると手を抜く、と言う様な手法を発見した様である。よい計画だと思うが、私の疑念を抱く所は、初期新傾向の俳句の流行句法であった「……しが」と言う近頃はじめた表現法は、万葉の「……しかば」を逆に行った様でもあり、又堅固な言語情調を喜び過ぎて居る様にも感ぜられる。ともかくも、この手を抜く手法から来る散文に近い印象を、或は一種の兆しと誤認して居るのではあるまいか、と案じている。茂吉風・文明風が、今後「アララギ」の上で、著しい違い目を見せて来るであろうと思う。こうして懐しい万葉ぶりの歌風は過ぎ去って、竟《つい》におさまるべき処におさまる事になるのであろう。そうして、万葉調に追随して来た人々は、又更に新しい調子の跡を追おうとして居る。
この以外にも、「日光」その他について述べたいが、今は流行の歌風について論じるのであるから、まだその中心たる地位を保って居る「アララギ」ばかりを、めど[#「めど」に傍点]に据えたのである。思えば世間は、おおよそは旗ふる人の手さばきのままである。歌の上に於て、我々を喜ばした文芸復興は、これで姑《しば》らくは、中入りになるのであろう。

  
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