ずれて(?)、従来の持ち味及び、子規流の「とぼけ」からする、変態趣味の外皮を破って「家をいでてわが来し時に、渋谷川(?)卵の殻が流れ居にけり」の代表する一類の歌となって現れた。其後、茂吉は長い万葉調の論を書いた。畢竟《ひっきょう》其主張は、以前の、気魄強さに力点を置いたのから、転化して来たことを明らかにしている。恐らく内容の単純化から、更に進んで気分の斉正という処まで出て来たと言われよう。良寛から「才」をとりのけた様な物を、築き上げる過程にあるらしい。此を以て茂吉は尚、万葉調と称して居るが、実は既に茂吉調であって、万葉の八・十、或は十七・十八・十九・二十などとも違ったよい意味の後世風《おとつよぶり》であることは、疑うことの出来ぬ事実である。私は世間の万葉調なるものが、こうした新しい調子に出て、陣痛期を脱しようとするのかと考えている。
尚他の「アララギ」の人々で見ると、文明の、あの歌を鴎外で行ったような態度から、更に違った方角に向おうとして居るのに注意したい。「アララギ」同人中、最形の論理的に整うて居た文明の作風が、『ふゆくさ』以後、自ら語の正確さを疑い出したものか、此までどおり明確・端
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