から、一両年此方、段々ある落ちつき場処を求め獲《え》た様子を見ると、万葉の外殻を被《かぶ》って、叙景詩に行き止ったものは、まだしも、多少の生きた気魄を感じることは出来るが、外々の者は、皆一列になまぬるい拍子を喜ぶ様になって、甚しいのは、前にも言った新古今あたりに泥《なず》み寄ろうとして居る。而も「アララギ」自身すら、漸《ようや》く其拍子を替えて来たのに心づかない人はないだろうと思う。が、世間には存外、『十年』一冊の初めとしまい[#「しまい」に傍点]とに見える韻律の変化に気づかない人もある様である。此変化は、主として茂吉が主動になって居る様である。その洋行前、従来なるべく避けた、所謂「捨てや」なる助辞を、子規・左千夫の歌に対する親しみから、極めてすなおにとりこんでいた。アララギ派ではすべての人が、新しい発想法を見出して貰った程の喜びで、なぞって[#「なぞって」に傍点]行った。茂吉帰朝後、作る歌にも作る歌にも、すべての人が不満の意を示した。が、私は茂吉自身の心にひらめく暗示を、具体化しようとしてあせっているのだと思い、時としては、其が大分明らかに姿を見せかけて来るのを喜び眺めた。此が的をは
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