たのが、国家以前からの状態である。其が各、寿詞《よごと》・歌垣の唱和《かけあい》・新叙事詩などを分化した。かけあい[#「かけあい」に傍点]歌が、乞食者《ほかいびと》の新叙事詩の影響をとり入れて行く中に、しろうとの口にも、類型風の発想がくり返される事になった。そうして其が民謡を生み、抒情詩と醇化《じゅんか》して行った。而も日本の古代文章の発想法は、囑目《しょくもく》する物を羅列して語をつけて行く中に、思想に中心が出来て来るといった風のものであった為、外界の事象と内界とが、常に交渉して居た。其結果として、序歌が出来、枕詞《まくらことば》が出来た。交渉の緊密なものは、象徴的な修辞法になった場合もある。一方|外物託言《がいぶつたくげん》が叙景詩を分化したのであるが、こうした関係から、短歌には叙景・抒情の融合した姿が栄えた。万葉集は固《もと》より、以後益|隆《さか》んになって、短歌に於ける理想的な形さえ考えられる様になった。(日本に於ける叙景詩の発生は、雑誌「太陽」七月臨時増刊号に書いたから、ここには輪郭だけに止める――全集第一巻――。)
ところが一方、古く、片哥と旋頭歌《せどうか》を標準の形と
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