から来る歌の塞り

短歌の前途を絶望と思わせる第二の理由は、歌人が人間として苦しみをして居な過ぎることである。謂《い》わば[#「謂《い》わば」は底本では「謂《い》はば」]、懐子《ふところご》或は上田秋成の用語例に従えば、「ふところおやじ」である人さえ多すぎる為である。もっと言い換えるのもよいかも知れぬ。生みの苦しみをわりあいに平気で過している人が多いと。尤《もっとも》、おべんちゃら[#「おべんちゃら」に傍点]でなしに、私の友人たちは勿論、未知の若い人々の間にも、私の心配とうらはらな立派な生活の生き証拠としての歌を発表する人も、随分とある。併し概して、作物の短い形であると言う事は、安易な態度を誘い易いものと見えて、口から出任せや、小技工に住しながら、あっぱれ辛苦の固りと言った妄覚を持って居る人が多い。口から出任せも、吉井勇さんの様なのは、所謂《いわゆる》悪人――失礼だが、譬《たと》えが――成仏に徹する望みは十分にある。ふところ子・ふところ爺の生《なま》述懐に到っては、しろうと[#「しろうと」に傍点]本位である短歌の、昔からの風習が呪《のろわ》しくさえ思われるのである。
短歌は、成立の最初
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