もないが、一つ言うてみよう。畳と藤の花ぶさの距離に注意が集って、そこに瞬間の驚異に似て、もっと安らかな気分に誘う発見感があったのである。これを淡い哀愁など言う語で表す事は出来ない。常臥《とこぶ》しの身の、臥しながら見る幽《かす》かな境地である。主観排除せられて、虚心坦懐《きょしんたんかい》の気分にぽっかり浮き出た「非人情」なのではなかろうか。漱石の非人情論は、主旨はよくて説明のあくどい為に、論理がはぐれて了ったようである。結局藤の花の歌は、こうした高士の幽情とは違った、凡人の感得出来る「かそけさ」の味いを詠んだものなのであろう。
最近の茂吉さんの歌に、良寛でもないある一つの境地が顕《あらわ》れかけたのは、これの具象せられて来たのではないかと心愉《こころたの》しんで見て居る。氏は用語に於いて、子規よりも内律を重んじた先師左千夫の気質を承《つ》いで、更に古語によらなければ表されない程の気魄《きはく》を持って居る。赤彦の創《はじ》めた『切火』の歌風は、創作家の新感覚派に八九年先んじて出て、おなじ手法で進もうとする技工本位の運動であった。其が、赤彦の嗜《たし》む古典のがっしり調子と行きあって、
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