たのが、国家以前からの状態である。其が各、寿詞《よごと》・歌垣の唱和《かけあい》・新叙事詩などを分化した。かけあい[#「かけあい」に傍点]歌が、乞食者《ほかいびと》の新叙事詩の影響をとり入れて行く中に、しろうとの口にも、類型風の発想がくり返される事になった。そうして其が民謡を生み、抒情詩と醇化《じゅんか》して行った。而も日本の古代文章の発想法は、囑目《しょくもく》する物を羅列して語をつけて行く中に、思想に中心が出来て来るといった風のものであった為、外界の事象と内界とが、常に交渉して居た。其結果として、序歌が出来、枕詞《まくらことば》が出来た。交渉の緊密なものは、象徴的な修辞法になった場合もある。一方|外物託言《がいぶつたくげん》が叙景詩を分化したのであるが、こうした関係から、短歌には叙景・抒情の融合した姿が栄えた。万葉集は固《もと》より、以後益|隆《さか》んになって、短歌に於ける理想的な形さえ考えられる様になった。(日本に於ける叙景詩の発生は、雑誌「太陽」七月臨時増刊号に書いたから、ここには輪郭だけに止める――全集第一巻――。)
ところが一方、古く、片哥と旋頭歌《せどうか》を標準の形とした歌垣の唱和が、一変して短歌を尊ぶ様になって、ここに短歌は様式が定まったのである。だから発生的に、性欲恋愛の気分を離れることが出来ない。奈良朝になっても、そうした意味の贈答を主として居た為、兄妹・姉妹・姑姪《おばおい》の相聞往来にも、恋愛気分の豊かなものを含めた短歌が用いられている。其引き続きとして、平安朝の始めに、律文学の基本形式として用いられる様になり、民謡から段々遠くなって来ても、やはり恋愛気分は持ち続けられた。そう言う長い歴史が、短歌を宿命的に抒情詩とした。だから、抒情詩として作られたものでなくとも、抒情気分を脱却することが出来ないのである。此例からも叙景・抒情融合の姿の説明はつく。性霊を写すと言う処まで進んだ「アララギ」の写生説も、此短歌の本質的な主観|纏綿《てんめん》の事情に基くところが多いのである。
短歌と近代詩と
短歌は、万葉を見ても、奈良の盛期の大伴旅人・山上憶良あたりにも、既に古典としての待遇を受けている。旅人の子家持の作物になると、一層古典復活の趣きが著しく見える。其点からも、短歌に於ける抒情分子の存在が、必須条件となって居た理由を考えることが出来る。
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