ての深みを加えることになる。けれどもここに、一つ考えねばならぬ事は、我々の祖先の残した多くの歌謡が、果して真の抒情詩かどうか、と言う事になると、尠《すくな》くとも私だけは、二の足を踏まないでは居られない。古典としての匂いが光被して、鹸《あく》や、脂気を変じて、人に迫る力としていることも、否まれない。
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巌門《いはと》破《わ》る手《た》力もがも。嫋《たわや》き女《をみな》にしあれば、すべの知らなく
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[#地から2字上げ]手持[#(ノ)]女王
[#地付き](万葉集巻三、四一九)
これは挽歌《ばんか》として、死霊を和《なご》める為の誇張した愛情である。
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稲つけば、皸《かゝ》る我が手を 今宵もか 殿の若子《わくご》がとりてなげかむ
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[#地付き](同巻十四、三四五九)
これが婢奴《めやっこ》の独語とすれば、果して誰が聞き伝えたのであろう。これは必、劇的誇張を以て、共通のやるせなさを唆《そそ》ろうとする叙事詩脈の物の断篇に違いない。こうした古代の歌から、我々が正しく見ることの出来るは、結局生活力の根強さだけと言うことになる。

   万葉集による文芸復興

赤彦が教職を棄てて上京して以来の辛苦は、誠に『十年』である。而も其間に、酬《むく》いられ過ぎるほどに、世間は響応した。却《かえっ》て、世間が文芸復興に似た気運に向いていた処だから、「アララギ」の働きが、有力にとりこまれたもの、と見る方が正しいのかも知れぬ。子規以来の努力は、万葉びとの気魄《きはく》を、今の心に生かそうとすることにあった。そうした「アララギ」歌風が――新詩社盛時には、我ひと共に思いもかけなかった程に――世間にとり容れられ、もてはやされた。時勢が古代人の純な生命をとりこもうとし、又多少、そうした生活様式に近づいて来ていたから、とも言うことが出来よう。而も此を直に分解して、個々の人の上にも、同じ事情を見ようとすると、案外な事だらけである。なる程世間は張って居る。可なり太く強く動いて居る。併しその影響から、万葉の気魄や律動を、適当に感じ、受け入れることが出来る様になったとしても、短歌の作者が、必しも皆強く生きて居るものとは、きめられない。事実、流行化した文芸復興熱にひきずられた盲動に過ぎなかったことは、悲観する外はない。だ
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