見えます。此は、高野博士の観世・金剛などの称号が、菩薩練道の面を蒙る家筋を表したものだ、と言ふ卓見に、微かな裏書きをつける事になるのです。
七 山姥
猿楽で、山姥が重んぜられるのも、先進芸からの影響もある様ですが、山人としての方面からも考へねばならぬでせう。山姥は、山の神の巫女で、うば[#「うば」に傍線]は姥と感じますが、此は、巫女の職分から言ふ名で、小母と通じるものです。最初は、神を抱き守りする役で、其が、後には、其神の妻ともなるものをいふのです。其巫女の、年高く生きてゐるのが多い事実から、うば[#「うば」に傍線]を老年の女と感じる様になつたらしいのです。うば[#「うば」に傍線]を唯の老媼の義に考へたのも古くからの事だが、神さびた生活をする女性の意として、拡がつて来たのでせう。此山神のうば[#「うば」に傍線]として指定せられた女は、村をはなれた山野に住まねばならなかつた。人身御供の白羽の矢の話には、かうした印象もあるに違ひない。たなばたつめ[#「たなばたつめ」に傍線]同様の生活をして、冬の鎮魂にまた恐らくは、春祭りにも、里に臨んだものと思ふ。其山姥及び山人の出て来る鎮魂の場《ニハ》が、いち[#「いち」に傍線]と言はれるので、我が国の「市」の古義なのです。此夜、山姥――及び山人――の来て舞ふのが、山姥の舞で、段々、村の中にも、此を伝へるものが出来る様になつたでせう。此は山姥の鎮魂の舞が、山姥を野山に出さぬ世になつて、仮装の山姥の手に移つた為でせう。
山姥といふ称呼から、山にゐる女性と考へ、山人を、蛮人又は鬼・天狗などに近づけて想像する処から、此をも山の女怪と信じる様になりました。其村の冬祭りに来た行事が形式化し、竟に型をも行はぬ様になつて、伝説化して、名と断篇の説話ばかりあつて、実のない時代になつて、冬の行事であつたゞけに、冬の夜話の題材に上る様になつたので、かうした、人であつて、又、魑魅の族らしい者を考へ出したのでせう。山姥の姥[#「姥」に白丸傍点]に対して、山男[#「山男」に傍線]・山人は又、山をぢ[#「山をぢ」に傍線]又は、山わる[#「山わる」に傍線]と称へる様になりました。山姥の洗濯日といふのは、山の井に現れて、山姥が禊ぎをする日だつたのでせう。市日に山姥の来て、大食をした話や、小袋に限りなく物を容れて帰つた伝説などがあるのは、鎮魂の夜の山づと[#「山づと」に傍線]と取り易へて、里の品物、食料などを多く持ち還つたからでせう。其に、其容れ物の、一種異様な物であつた印象がくつゝいたのだらうと思ひます。
古代には、市[#「市」に白丸傍点]といはれる処は、大抵山近い処にありました。磯城長尾市[#(ノ)]宿禰と言ふ家は、長い丘《ヲ》の末に、市があつた為でせう。此が、穴師の山人の初めと言はれる人です。布留の市もさうで、大倭の社に関係があります。河内の餌香《ヱガ》の市などは、やゝ山遠くなつてゐます。これなどは、商行為としての交易場だつたのでせう。「うまさけ餌香の市に、価もてかはず(顕宗紀・室寿詞)」などあるのも、市が物々交換を行うた時代を見せてゐるのです。山祇系に大市姫があり、伝説では、山姥の名にもなつてゐます。此はみな、市と冬祭りと山姥との聯絡を見せてゐるのです。此交易の行事が、祭りの日の鷽換《ウソカ》へ行事や、舞人の装身具・作り山などについた物を奪ひ合ふ式にもなつて行つたのです。
足柄明神の神遊びは、東遊《アヅマアソ》びの基礎になつた様です。此神遊びを舞ふ巫女が、足柄の山姥です。神を育てるものとの信仰が残つて、坂田金時の母だとされてゐます。其に、此山姥の舞は、代表的の「山舞」とせられて、東遊びと共に、畿内の大社にも行はれました。山舞を演ずる「座」や「村」の間には、其が伝はつて来たでせう。山づと[#「山づと」に傍線]は物忌みのしるし[#「しるし」に傍線]として、家の内外に懸けられます。浄められた村の人々は、神の物となつた家の内に、忌み籠るのです。此が正月飾りの起りです。標め縄も、山野や木に張り廻すものです。唯、ほんだはら[#「ほんだはら」に傍線]一品は古くから用ゐられてゐますが、海の禊ぎをついだしるし[#「しるし」に傍線]なのです。山人の鎮魂に、昆布・田作・蝦などが用ゐられる様になつたのも、海の関係がないとは思はれません。京では歳暮に姥たゝ[#「姥たゝ」に傍線]といふ乞食が、出たと言ひます。此もさうした者ではないでせうか。節季候《セキゾロ》といふ年の暮を知らして来る乞食も、山のことぶれ[#「山のことぶれ」に傍線]の一種の役なる事は、其扮装から知れます。山の神を女神だと言ふのは、山姥を神と観じたのです。斎女王の野[#(ノ)]宮ごもり[#「野[#(ノ)]宮ごもり」に傍線]には、かうした山の巫女の生活法が、ある点までは見え
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