翁の発生
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)中門口《チユウモングチ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)其|伴神《トモガミ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「酉+慍のつくり」、第3水準1−92−88]醸

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)尾張[#(ノ)]浜主

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)あり/\
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     一 おきな[#「おきな」に傍線]と翁舞ひと

翁の発生から、形式方面を主として、其展開を考へて見たいと思ひます。しかし個々の芸道特有の「翁」については、今夜およりあひの知識の補ひを憑む外はないのであります。翁芸を飛躍させたのは、猿楽であります。翁が、田楽の「中門口《チユウモングチ》」に相当する定式の物となつた筋道が、幾分でも訣つて貰へるやうに致したいと存じます。
おきな[#「おきな」に傍線]と言ふ語《ことば》は、早くから芸能の上に分化したおきな[#「おきな」に傍線]の用語例の印象をとり込んでゐます。尠くとも我々の観念にあるおきな[#「おきな」に傍線]は、唯の老夫ではない。芸道化せられたおきな[#「おきな」に傍線]を、実在のおきな[#「おきな」に傍線]に被せたものなのであります。
おきな[#「おきな」に傍線]・おみな[#「おみな」に傍線](媼)の古義は、邑国の神事の宿老《トネ》の上位にある者を言うたらしい。おきな[#「おきな」に傍線]・おみな[#「おみな」に傍線]に対して、をぐな[#「をぐな」に傍線]・をみな[#「をみな」に傍線]のある事を思ひ併せると、大(お)・小(を)の差別が、き(く)・み(む)の上につけられてゐる事が知れます。つまりは、老若制度から出た社会組織上の古語であつたらしいのです。舞踊《アソビ》を手段とする鎮魂式が、神事の主要部と考へられて来ると、舞人の長なるおきな[#「おきな」に傍線]の芸能が「翁舞」なる一方面を分立して来ます。雅楽の採桑老《サイシヨウラウ》、又はくづれた安摩《アマ》・蘇利古《ソリコ》の翁舞と結びついて、大歌舞《オホウタマヒ》や、神遊びの翁が、日本式の「翁舞」と認められたと見ても宜しい。
尾張[#(ノ)]浜主の
[#ここから2字下げ]
翁とてわびやは居らむ。草も 木も 栄ゆる時に、出でゝ舞ひてむ(続日本後紀)
[#ここで字下げ終わり]
と詠じた舞は、此交叉時にあつたものと思ひます。翁舞を舞ふ翁の意で、唯の老夫としての自覚ではなさ相です。おきなさぶ[#「おきなさぶ」に傍線]と言ふ語も、をとめさぶ[#「をとめさぶ」に傍線]・神さぶ[#「神さぶ」に傍線]と共に、神事演舞の扮装演出の適合を示すのが、元であつた様です。
[#ここから2字下げ]
翁さび、人な咎めそ。狩衣、今日ばかりとぞ 鶴《タヅ》も鳴くなる
[#ここで字下げ終わり]
と在原の翁の嘆じた、と言ふ歌物語の歌も、翁舞から出た芸謡ではなかつたでせうか。古今集の雑の部にうんざり[#「うんざり」に傍点]する程多い老い人の述懐も、翁舞の詠歌と見られぬ事もない。私など「在原」を称するほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]の団体があつて、翁舞を演芸種目の主なものにしてゐたのではないかとさへ思うて居ます。
山姥が山の巫女であつたのを、山の妖怪と考へた様に、翁舞の人物や、演出者を「翁」と称へる様になり、人長《ニンヂヤウ》(舞人の長)の役名ともなり、其表現する神自体(多くは精霊的)の称号とも、現じた形とも考へる様になつて行つたものであります。
だから「翁」は、中世以後、実生活上の老夫としてのみ考へる事が出来なくなつてゐるのです。
此夜話の題目に択んだ翁は、其翁舞の起原を説いて、近世の歪んだ形から、元に戻して見る事に落ちつくだらう、と思ひます。

     二 祭りに臨む老体

二夏、沖縄諸島を廻つて得た、実感の学問としての成績は、翁成立の暗示でした。前日本を、今日に止めたあの島人の伝承の上には、内地に於ける能芸化せられた翁の、まだ生活の古典として、半、現実感の中に、生きながらくり返されてゐる事を見て来たのです。
私は日本の国には、国家以前から常世神《トコヨガミ》といふ神の信仰のあつた事を、他の場合に度々述べました。此は「常世人」といつた方がよいかと思はれる物なのです。斉明天皇紀に見えてゐるのが、常世神の文字の初めでありますが、此は、原形忘却後の聯想を交へて来た様で、其前は思兼神も、少彦名命も、常世の神でした。然し純化しない前の常世人は、神と人間との間の精霊の一種としたらしいのが、一等古い様であります。
元来ひと[#「ひと」に傍線]と言ふ語の
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