原義は、後世の神人に近いので、神聖の資格をもつて現れるものゝ義である、と思ひます。顕宗紀の室寿詞は「我が常世《トコヨ》たち」の文句を結んでゐます。此は、正客なる年高人《トシタカビト》を讃頌した語なのです。常世の国人といふことから、常世の国から来る寿命の長い人、唯の此世の長生の人と言ふ義になつて来たのです。
日本人は、常世人は、海の彼方の他界から来る、と考へてゐました。初めは、初春に来るものと信じられてゐたのが、後は度々来るものと考へる様になりました。春祭りと刈上げ祭りは、前夜から翌朝まで引き続いて行はれたものでした。其中間に、今一つあつたのが冬祭りです。ふゆまつり[#「ふゆまつり」に傍線]は鎮魂式であります。あき[#「あき」に傍線]・ふゆ[#「ふゆ」に傍線]・はる[#「はる」に傍線]が暦法の上の秋・冬・春に宛てられるやうになると、其祭りも分れて行はれる。其祭りの度毎に、常世人が来臨して、禊ぎや鎮魂を行うて行く。かうなると又、臨時の祭りが、限りなく殖えて来ました。
田植ゑ祭りに臨むさつきの神々[#「さつきの神々」に傍線]なども迎へられ、季節々々の交叉期《ユキアヒ》祭りには、邪気退散の呪法を授けるか、受けるか分らぬ鬼神も来る様になりました。さうしたまれ[#「まれ」に傍線]に而も、頻々とおとづれるまれびと神[#「まれびと神」に傍線]も、元は年の交叉点に限つて姿を現したものでした。此等の常世人の、村の若者に成年戒を授ける役をうけ持つてゐた痕が、あり/\と見えてゐます。春祭りの一部分なる春田打ちの感染所作《カマケワザ》は、尉と姥が主役でした。これの五月に再び行はれる様になつたのが「田遊び」です。此にも後に、田主《タアルジ》などゝ言ふ翁が出来ますが、主要部分は変つて居ます。簑笠着た巨人及び其|伴神《トモガミ》なる群行神の所作や、其苛役を受けて鍛へ調へられる早処女《サウトメ》の労働、敵人・害虫獣等の誓約の神事劇舞《ワザヲギ》などが其です。此が田楽の基礎になつた「田遊び」の本態で、其|呪師《ノロンジ》伎芸複合以前の形です。
高野博士が「呪師猿楽」なる芸能の存在を主張せられたのは、敬服しないでは居られません。但、本芸が呪師で、其くづれ・脇芸とも言ふべきのが、呪師に入つた猿楽で、唯呪師とも言ひ、呪師猿楽とも並称したらしく思はれます。此「呪師猿楽」が、田遊び化して田楽になつたとするのが、私の考へです。だが一口には、田楽は五月の田遊びから出てゐると申してよろしい。此猿楽は、田楽では、もどき[#「もどき」に傍線]と言ふ脇役に、俤を止めました。能楽と改称した猿楽能では、狂言方とまで、変転を重ねて行きました。わき方[#「わき方」に傍線]も、勿論此から出たのです。結論に近い事を申しますと、翁も純化はしましたが、やはり此で、黒尉《クロジヨウ》は猿楽の原形を伝へてゐる、と申してよろしいのです。
猿楽の用語例の一部分には、武家以前古くから興言利口などゝ言ふべき、言ひ立て[#「言ひ立て」に傍線]又は語り[#「語り」に傍線]の義があります。興言利口も、其根本になるべき話材までも、さう言ふ様になりました。此は、狂言の元の宛て字が興言であると共に猿楽の、言と能との二方面に岐れる道を示すものです。能楽が専ら猿楽と称へられたのは、此方面が主となつてゐたからかと思ひます。故事語りに曲舞の曲節をとりこみ、ことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]のおどけ言ひ立てを現実化したのが、猿楽の表芸を進展させた次第であります。能芸の方は寧先輩芸道なる曲舞・田楽の能などからとり込んだらしいのです。
猿楽能に於ける翁は、此言ひ立て[#「言ひ立て」に傍線]・語り[#「語り」に傍線]を軽く見て、唱門師《シヨモジン》一派の曲舞(の分流)から出て、反閇《ヘンバイ》芸を重くした傾きがあります。だが、元々、猿楽と言つても、田楽の一部にも這入つて居たのです。だから、田楽にも、その演芸種目の中に猿楽が這入つてゐたのです。此が呪師芸や、其後身なる田楽のわき役[#「わき役」に傍線](もどき役[#「もどき役」に傍線]、同時に狂言方[#「狂言方」に傍線])から独立して来たものと思ひます。
だから、田楽にも、翁の言ひ立てや語りがあつたらしいのです。唯、田楽能をまるどり[#「まるどり」に傍点]して、自立したにしても、猿楽能自身の特色がなくてはなりませぬ。其は、翁の本家であつた、と言ふことです。語りの方は、開口《カイコウ》や何々の言ひ立て[#「何々の言ひ立て」に傍線]の側に岐れて行つたのでせう。開口も、何々の言ひ立ても、元は翁の中に含まつて居たと見えるのです。奈良に残つた比擬開口《モドキカイコウ》や、江戸柳営の脇方の開口の式なども、同じ岐れです。其もどき[#「もどき」に傍線]と言ひ、脇方[#「脇方」に傍線]の勤めると言ふのは、事実の
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