裏書きであります。此脇方――並びに狂言方の――翁一流の式に対する関係や、翁が最古式を保つてゐるとの信仰は、猿楽がわき芸[#「わき芸」に傍線]であつた事を、暗示してゐるのではないでせうか。田楽と違ふ点は、念仏踊りの要素を多く含んだ彼に対して、神事舞としての部分を重く見てゐる点にある、と言へます。
冬の鎮魂を主とし、春田打ちに関係の深いのが、猿楽の、呪師習合以前の姿なのです。田植ゑに臨む群行神の最古の印象は、記・紀のすさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]の神話の外に、播磨風土記には統一のない形の、数多い説話として残つてゐます。此間に、常世人自身も、海の彼方から来ると信じられたものが、天から降ると考へられる様になり、山に住む巨人とせられる様にもなつて行きました。従つて、常世人と言ふ名も変り、其形貌性格や対人地位なども易つて行く一方には、原形に止り、或は、二つの形を複合した信仰も出て来ました。
我々の研究法は、経験を基調としたものであります。資料の採訪も、書斎の抜き書きも、皆、伝承の含む、ある昔の実感を誘ふ為に過ぎません。実感による人類史学と言ふべきものなのです。一芸能の翁に拘泥せず、田楽・神楽・歌舞妓其他の現在芸能は固より呪師田楽以前の神事・劇舞踊などに現れた翁の形態の知識の上に、更に、其現に行はれてゐる演出の見学から、体験に近い直観を得ねばなりますまい。沖縄の島渡りをして、私の見聞きしたのは、此から話さうとする三つの型でありました。
三 沖縄の翁
祖先考妣の二位の外に、眷属大勢群行して、家々をおとなふ形。盂蘭盆の行事である(一)。海上或は洞穴を経て、他界の異形(又は荘厳な姿)の、人に似た霊物が来て、村・家を祝福する形。清明節其他、祭りの日にある(二)。村の族長なる宗家の主人並びに一門中の代表者と見なされる群衆を伴うた、前族長なる長者が踊り場へ来て、村を祝福するのを一番として、村々特有の狂言《チヤウゲン》(能狂言・俄などに似た)を行うて、後は芸尽しになる。村によれば、長者の一行が舞台に来ると、家長の挙げる扇に招かれて、海の彼方の富みの国から、其主神が来て、穀物の種を与へて去る式をする処もある。此神の名は儀来《ニライ》の大主《ウフヌシ》、長者の名は長者の大主《ウフヌシ》、家長の名は親雲上《ペイチン》と言ふ。童満祭《ワラビミチ》に行ふ(三)。私の目で見た知識よりも、更に大きな補助を、島袋源七・比嘉春潮二氏の報告から得ました。
此中で(一)は最、常世人に近い形であります。海の彼方なる大《オホ》やまと[#「やまと」に傍線]――又は、あんがまあ[#「あんがまあ」に傍線]と言ふ国があると考へたのが変じて、其行事又は群行の名としたのらしい――から、祖霊の男女二体及び、其他故人になつた村人の亡霊の来る日を、盂蘭盆に習合したので、其又一つ前には、初春を意味する清明節に、常世人として来た事が考へられます。此中心になる大主前《ウシユメイ》と言はれる老夫――老女《アツパア》を伴ふ――が時々立つて、訓戒・教導・祝福などを述べるのであります。其間に、眷属どもの芸尽しがあります。
此からしても、内地の古記録から考へられる常世のまれびと[#「常世のまれびと」に傍線]の元の姿はやゝ、明るくなつて来ます。此と通じてゐるのは(三)の式であります。此は村踊りと言ひ、又村芝居とも言はれてゐます。祖霊を一体の長者の大主とし、眷属の霊を一行としたものです。さうして今は、其本処の考へを忘れてゐますが、他界の聖地から来たものに違ひありません。親雲上は、其等の群行から、正面に祝福を受ける人として、予め一行を待つ形が変つたのでせう。其に、儀来の大主を加へたのは、長者大主一行の本義の忘れられた為、更に祝福の神を考へ出したのです。
此が変じて(二)になると、色々の形に変化してゐます。なるこ神[#「なるこ神」に傍線]・てるこ神[#「てるこ神」に傍線]と言ふ二体の、聖なる彼岸の国主とするのもあり、唯の一体の海神《ウンヂヤミ》とする処もあります。もつと純化しては、海の向うのにらい[#「にらい」に傍線]・かない[#「かない」に傍線]の国の神とし、更に天上の神として、おぼつ[#「おぼつ」に傍線]・かぐら[#「かぐら」に傍線]と言ふ其国を考へてゐます。其史実化したのが、あまみきょ[#「あまみきょ」に傍線]・しねりきょ[#「しねりきょ」に傍線]の夫婦神です。先島《サキジマ》の中には、まやの国[#「まやの国」に傍線]といふ彼岸の聖地から、まやの神[#「まやの神」に傍線]及びともまや[#「ともまや」に傍線]と称する神が来るとしてゐるものもあつて、此は、蒲葵《クバ》の簑笠を被つた異形神であります。同じく、先島諸島に多く、あかまた[#「あかまた」に傍線]・くろまた[#「くろまた」に傍線]など言ふ
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