下げ終わり]
と言ふ名高い万葉集の東歌と、御祖神の宿を断つた富士の神の口実(常陸風土記)などに、其俤を留めてゐる。此等の東人の新嘗風習を踏み台にすれば、我々には垣間見をも許されて居らぬ悠紀《ユキ》・主基《スキ》の青柴垣に籠る神秘も、稍、窺はれる様な感じがする。新嘗・大嘗を通じて、皇祖神《スメロギ》との関係を主として説く従来の説は、どうも私の腑に落ちぬ。小むづかしい僚窓の下でひねくられた物語りよりも、民間の俗説の方が、どれだけ深い暗示を与へてくれるか知れぬのである。
大嘗をおほにへ[#「おほにへ」に傍線]・おほむべ[#「おほむべ」に傍線]など云ふに対して、新嘗がにひにへ[#「にひにへ」に傍線]ともにひむべ[#「にひむべ」に傍線]とも云ふことの出来ぬ理由は、民間の新嘗に該当する朝廷の大嘗が、大新嘗といふ語から幾分の過程を経て来た為だ、と私は考へてゐる。
全体、万葉の東歌の中には、奈良の京では既に、忘れられてゐた古い語や語法を多く遺してゐる。此から考へると、にふなみ[#「にふなみ」に傍線]といふ語を、新嘗といふ漢字の字義通りに説明する語原説も、まだ/\確乎不抜とは言はれぬ様に思ふ。「葛飾早稲
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