は、頭音が脱落したものであることを暗示してゐる様でもある。またほと[#「ほと」に傍線]は、ほて[#「ほて」に傍線]から来たらしいといふ説も、標山には招代を樹てねばならぬ、といふ点から見て、一応提出するまでであるが、何れにせよ、後に必、力強い証拠が挙つて来さうな気がする。
くろ[#「くろ」に傍線]は畔の稲塚だから言うたもので、必、畔塚と言ふ語の略に違ひがないと考へる。じんと[#「じんと」に傍線]ととしやく[#「としやく」に傍線]との二つに至つては、遺憾ながら、附会説をすらも持ち出すことが出来ぬ。
さて、若し幸にして、稲むらを標山《シメヤマ》とする想像が外《ハヅ》れて居なかつたとすれば、次に言ひ得るのは、更めて神上げの祭りをする為に請ひ降した神を、家に迎へる物忌みが、即、新嘗祭りの最肝要な部分であつた、と言ふ事である。神待ちの式のやかましいことは、
[#ここから2字下げ]
誰《ダレ》ぞ。此家の戸|押《オソ》ぶる。新嘗《ニフナミ》に我が夫《セ》をやりて、斎ふ此戸を(巻十四)
鳰鳥《ニホドリ》の葛飾|早稲《ワセ》を嘗《ニヘ》すとも、その愛《カナ》しきを、外《ト》に立てめやも(同)
[#ここで字
前へ
次へ
全11ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング