の木を一つ/\の盛り物に立てたのである。此作り物は、大嘗祭に牽いた「標《ヘウ》の山《ヤマ》」と同じ物で、屋外の「出《ダ》し物《モノ》」を座敷にうつしただけである。折敷《ヲシキ》に台足のついた「三方」「四方」も、衝重《ツイカサネ》と称へた室町の頃には、格式を喧しく言うたもので、公卿以上でなくば許されなかつた。武家には折敷を据ゑる事になつて居た。此とても、古い程使用者の範囲が高くなり、穴の数なども問題になつて居る。其溯つたつまりは、饗宴の正客のみに据ゑた懸盤《カケバン》の一種と思はれる。元来、食ひ物を盛る器に足のあるのは、其にすわる人の尊重な事を示すのであつた。前期王朝までは、「つくゑ」と言ふ語で表し、後期王朝に入つて、台盤と言ふ語も出来て、一人用から多人数用の物までも含んで居る。身分にも制限がない様であるが、かうした机案の上に食ひ物を置く事を、「たつ」又は「たて献《マツ》る」と言ふのが、少なくとも奈良の世までの用語例である。さうすると、「つくゑ」に立てゝ(机を竪て、その上に据ゑると言ふ表現を固定させたものであらう。高く机に置くから、竪てると感じたのではあるまい。)薦められる人は、ある種の
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