貴人或は、ある時に限つて拝礼を受ける資格ある人でなくてはならぬ。
而も三方類は言ふまでもないが、島台を据ゑて神の在る時の飾りとする地方がまだある。三河設楽郡辺では、正月の歳徳神を迎へる為に、年棚の下に置く相である(早川孝太郎氏の話)。洲浜が島台になつて、原義の知れなくなつて久しい年月に、尚忘れないで古意に従つて居る処もあるのである。神迎への標《ヘウ》の山《ヤマ》なのである。
一体|歳徳神《トシトクジン》とも年神《トシガミ》とも言はれる正月の神は、今も迎へ祭る地方が多い。現に其信仰の生きて居るのもあり、唯生活の古典となりきつたのもある。童謡にも、「正月さんは、どこまで御座る。何々山の下まで」と言ふ様式を具へて居るものが、広く分布して居る。此は年神迎への文言なのである。門松も実は、此神の為の標の山である。王朝末には、行幸御幸に、御通路の京の町人が松を林の如く立て陳ねた事のあるのも、天子・上皇を「まれびと」を遇する法で迎へたのである。稀には、門松も立てず、年神も迎へぬ家筋や、村がある。此にも村の生活の古義は蔵せられてゐるのである。
宮廷生活に親しんだ後期王朝の公卿の間で行はれた種々の説明のな
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