つた中世には、貴人と豪家との間に、主従関係の睦しさから、殆対等な家の中の一つの家長が、覇者となつた。その以前の心持ちの引き続きから、気軽に御成りを願ふ事が出来る様になつた。其と共に、主君と一処に、家人のなり上つた家などは、深い睦しさから招かれも迎へもしたであらう。かう言ふ人間としての親しみが、客人待遇法を変へもし、原義を夙く忘れさせたのである。だが、尚「客人観念」の中に、俤も見えなくなつた饗宴に、少々は一等古い――神をまれびと[#「まれびと」に傍線]と観じた――時代のなごりを留めてゐる。
今も使ふ婚礼の島台や、利用の広い「三方」「四方」の武家時代の饗宴類似のをり毎に、必、据ゑられたもので、食ひ物の真中に必松の心などを挿して居る。隅田の船遊びに、さうした島台を船の中に飾つた図のあるのも、饗宴の風習から酒席・遊楽の座には、欠かれぬものと考へられた為である。島台が洲浜と呼ばれて、今の様な形に固定しない後期王朝頃から、宴席の中心となつてゐた事は、疑ひもない。而も其上の飾り物は、神を迎へる標《シルシ》の作り物である。食物の中に立てた松の心《シン》も、単純なつま[#「つま」に傍点]ではなかつた。標
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