びと」に傍線]を考へてゐた事も思はれる。年神には、老夫婦を言ふものが多い。必しも高砂の尉と姥から出た空想ではない。島台に老夫婦の形を載せる事も、却て老夫婦のまれびと[#「まれびと」に傍線]の考への固定したものであらう。謡曲「高砂」の翁を住吉明神とし、媼を高砂の松の精としたのは、遠くから来るまれびと[#「まれびと」に傍線]を二つに割つて考へた合理的な説明である。一体に播州に住吉神来臨を説く事の多いのは、神の棲む海のかなたの国を、摂津の住吉に考へた為で、数多いとこよ[#「とこよ」に傍線]の国の一種である。播磨風土記には、他国から来た夫婦神の、土地を中心にした争ひを多く伝へてゐる。此は土地占めの神争ひの上に、まれびと[#「まれびと」に傍線]の影を落して居るに違ひない。
備後風土記逸文の蘇民将来《ソミンシヤウライ》・臣旦《コタン》将来に宿を乞うた武塔《フタウ》天神は、行きには一人だが、八年目の帰り途には、八人のみ子を連れて居たとあるから、群行である。而も此物語は、民間の行事が神話化したもので、神の来り臨んで、家々に宿る夜のあつた事を示してゐる。同類の神話は、常陸風土記筑波山の条にある。御祖《ミ
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