[#「ふゆ」に傍線]だけが分離して、刈り上げの後から春までの間を言ふ様になり、刈り上げと鎮魂・大晦日との関係が、次第に薄くなつて行つて、間隔が出来た為、冬の観念の基礎が替つて行つた。そして暦の示す三个月の冬季を、あまり長過ぎるとも感じなくなつたと見える。

     五

私はもう春まつりの事に、多少触れて来た。こゝらでまつり[#「まつり」に傍線]の原義を説いて、此文章を結びたいと思ふ。霊魂の分裂信仰よりも、早く性格移入を信じてゐた古代人は、呪詞を威力化する呪詞神の霊力が、呪詞を唱誦する人に移入して、呪詞神其ものとする、とした事は言うた。神の希望は、人間には命令であり、規定であつた。此神意を宣《ノ》る呪詞を具体化するのは、唯伝達し、執行するだけであつた。神の呪力は、人を待たずとも、効果を表すが、併し、其伝誦を誤ると、大事である。だから、御言伝宣者《ミコトモチ》は、選ばれなくてはならなかつた。まつる[#「まつる」に傍線]の語根まつ[#「まつ」に傍線]は、期待の義に多く用ゐられるが、もつと強く期する心である。焦心を示す義すらあつた。神慮の表現せられる事が「守《マ》つ」であつた。卜象をまち[#「まち」に傍線]と言ふのも、其為である。神慮・神命の現れるまでの心をまつ[#「まつ」に傍線]と言ふまち酒[#「まち酒」に傍線]などは、それである。単なる待酒・兆酒ではなかつた。
まつ[#「まつ」に傍線]を原義のまゝで、語根として変化させると、まつる[#「まつる」に傍線]・またす[#「またす」に傍線]と言ふ二つの語が出来た。まつる[#「まつる」に傍線]は神意を宣る事である。そして、神自身宣するのでなく、伝宣する意義であつたらしい。「少御神《スクナミカミ》の、神寿《カムホ》きほきくるほし、豊寿《トヨホ》きほき旋廻《モトホ》し、麻都理許斯御酒《マツリコシミキ》ぞ」(仲哀記)とあるのを見ると、少彦名神が、呪詞神の酒ほかひの詞を、神寿き豊寿きに、ほき乱舞し、ほき旋転あそばされて、宣《マツ》りつゞけて出来た御酒ぞと言ふのか、少彦名のはじめた呪詞を、神人がほき宣《マツ》り続けて、作られた御酒ぞ、ともとれる。どちらにしても、こゝのまつる[#「まつる」に傍線]は、少彦名自身が、自分の呪詞を自ら宣《マツ》られたり、献り来られた御酒だとは言へない。併し、まつる[#「まつる」に傍線]に呪詞を唱へると言ふ義の
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