の歌である。此木を鈿《ウズ》に挿して、正月の祝福をしたのであつた。此は、山人のするやまかげ[#「やまかげ」に傍線]・やまかづら[#「やまかづら」に傍線]の一つだつたのである。ほよ[#「ほよ」に傍線]ともふゆ[#「ふゆ」に傍線]とも言うたからの懸け詞で、なづ[#「なづ」に傍線]と撫づ[#「撫づ」に傍線]とをかけたと等しい。ふゆ[#「ふゆ」に傍線]に、殖ゆ[#「殖ゆ」に傍線]は勿論触る[#「触る」に傍線]を兼ねて、密着《フル》の意をも持つてゐるのだ。鎮魂式には、外来の威霊が新しい力で、身につき直すと考へた。其が、展開して、幾つに分裂《フヤ》しても本の威力は減少せない、と言ふ信仰が出来た。
鎮魂式に先だつ祓への後に、旧霊魂の穢れをうつした衣を、祓への人々に与へられた。此風から出て、此衣についたものを穢れと見ないで、分裂した魂と考へる様になつた。だから、平安朝には、歳暮に衣配《キヌクバ》りの風が行はれた。春衣を与へると言ふのは、後の理会で、魂を頒ち与へるつもりだつたのである。即みたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]の信仰である。この場合のふゆ[#「ふゆ」に傍線]は殖ゆなどの動詞ではなく、語根体言であつて、「分裂物」などの意であるが、かうした言語の成立は、類例が少い。語頭に来る語根体言はあつても、語尾に来るものは珍らしい。
此は、此語が極めて長く、呪詞・叙事詩の上に伝承せられてゐた事を示してゐるのだ。霊の分裂を持つことは、後代の考へ方では、本霊の持ち主の護りを受ける事になる。其で、恩賚など言ふ字をみたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]と読むやうになり、加護から更に、眷顧を意味する事にもなつた。給ふ・賜はる・みたまたまふ[#「みたまたまふ」に傍線]など言ふ語さへも、霊の分裂の信仰から生れた。みたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]と言ふ語は、鎮魂の呪詞から出たものであらうが、其用途は次第に分岐して行つたらしい。数主並叙法とも言ふべき発想法をしてゐる。
家の祝言が、同時に、家あるじの生命・健康の祝福であり、同時にまた、家財増殖を願ふ事にも当る。時としては、新婚の夫婦の仲の遂げる様、子の生み殖える様に、との希望を予祝する目的にも叶ふのであつた。此みたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]の現れる鎮魂の期間が、ふゆまつり[#「ふゆまつり」に傍線]と考へられたのであらう。そして、ふゆ
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