したのだ。加茂にも、平野にも、山人が祭りに出たのは、媚び仕への形である。松尾が日吉と同じ神とせられてゐるのは、平野が大倭神であり、加茂が三輪系統のあぢすきたかひこねの命[#「あぢすきたかひこねの命」に傍線]としての伝へもあつたからであらう。日吉の神人は、松尾の社に近く住んで居たらしく、桂の里との関係も、考へられぬではない。
加茂祭りの両蘰《モロカヅラ》は、葵と桂とであつた。だから、平安京の山人は、簡単な姿をしてゐたのであらう。そして、其祓へがすんで、神のかげ[#「かげ」に傍線]を受けるものゝしるし[#「しるし」に傍線]として、山づとの両蘰をくばつて歩いたのであらう。神になつた扮装の、極度に形式化したものが、蘰で頭を捲いたのだ。其が更に、物忌みの徽章化したのが両蘰の類で、標《シ》め縄・標め串と違はぬ物になつたのである。
冬の祭りは、まづ鎮魂であり、又、禊ぎから出たものである。春祭りのとりこし[#「とりこし」に傍線]もあるが、冬の月次祭出のものもあり、新室ほかひ[#「新室ほかひ」に傍線]に属するものもある。第一にきめてかゝらねばならぬのは「ふゆ」といふ語の古い意義である。「秋」が古くは、刈り上げ前後の、短い楽しい時間を言うたらしかつたと同様に、ふゆ[#「ふゆ」に傍線]も極めて僅かな時間を言うてゐたらしいのである。先輩もふゆ[#「ふゆ」に傍線]は「殖ゆ」だと言ひ、鎮魂即みたまふり[#「みたまふり」に傍線]のふる[#「ふる」に傍線]と同じ語だとして、御魂が殖えるのだとし、威霊の信頼すべき力をみたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]と言ふのだとしてゐる。即、威霊の増殖と解してゐるのである。触るか、殖ゆか、栄《ハ》ゆか。古い文献にも、既に、知れなかつたに違ひない。
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誉田の日の皇子 大雀《オホサヽギ》 おほさゝぎ、佩かせる太刀。本つるぎ 末《スヱ》ふゆ。冬木のす 枯《カラ》が下樹《シタキ》の さや/\(応神記)
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たゞ、此|国栖《クズ》歌で見ると、所謂国栖[#(ノ)]奏の意義が知れる。此は、国栖人のする奏寿で、鎮魂の一方式なのだ。此太刀は常用の物でなく、鎮魂の為の神宝なので、石[#(ノ)]上の鎮魂の秘器なる布留の御霊の様に、幾叉にも尖が岐れて居た。劔と言うたのは、両刃《モロハ》を示すので、太刀の総名であり、根本は両刃の劔の形である。
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