ば、採り物のひさご[#「ひさご」に傍線]も、山人のは、杓子であつた。
山人といふ語は、仙と言ふ漢字を訓じた頃から、混乱が激しくなる。大体、其以前から、山人は山の神其ものか、里の若者が仮装したのか、わからなかつた。平安の宮廷・大社に来る山人は、下級神人の姿をやつしたものと言ふ事が知れてゐた。
[#ここから2字下げ]
あしびきの 山に行きけむやまびとの心も知らず。やまびとや、誰(舎人親王――万葉巻二十)
[#ここで字下げ終わり]
この歌では、元正天皇がやまびと[#「やまびと」に傍線]であり、同時に山郷山|村《フレ》(添上郡)の住民が、奈良宮廷の祭りに来るやまびと[#「やまびと」に傍線]であつた。この二つの異義同音の語に興味を持つたのだ。仙はやまびと[#「やまびと」に傍線]とも訓ずるが、「いろは字類抄」にはいきぼとけ[#「いきぼとけ」に傍線]とも訓んでゐる。いきぼとけ[#「いきぼとけ」に傍線]の方が上皇で、山の神人の方が、山村の山の神であり、山人でもある村人であつた。
[#ここから2字下げ]
あしびきの山村《ヤマ》行きしかば、山人の我に得しめし山づとぞ。これ(太上天皇――万葉巻二十)
[#ここで字下げ終わり]
此が、本の歌になつた天皇の作である。これにも、語の幻の重りあうたのを喜んで居られるのが見える。山人を仙人にとりなして「命を延べてくれるやまびと[#「やまびと」に傍線]の住む山村へ行つた時に、やまびと[#「やまびと」に傍線]が出て来て、おれに授けた、山の贈り物だ。これが」と言ひ出された興味は、今でも訣る。
高市・磯城の野に都のあつた間は、穴師山の神人が来、奈良へ遷つてからは、山村から来る事になつたらしい。この山人が、次第に空想化して、山の神・山の精霊・山の怪物と感じられる様にもなつたのだ。穴師の神人は山人でありながら、諸国に布教して歩いた。それを見ると、里と交通の絶えた者どもでもなかつたのである。唯、市日と、宮廷・豪家の祓へに臨む時だけは、山蘰を捲き、恐らく、からだ中も、山の草木で掩うてゐた事があるのだらう。
山城京になると、山人は、日吉から来たのらしい。三輪を圧へる穴師が、三輪山の上にあつた様に、加茂を制する為の山の神は、高く聳える日吉の神でなければならなかつた。だから、はじめは、山人も比叡の神人の役であつたらう。而も、此が媚び仕へることによつて、神慮を柔げるものと
前へ
次へ
全18ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング