事になつてゐた。除夜から元旦へかけての、春祭りであるはずの条件を備へた、春日若宮のおん祭り[#「おん祭り」に傍線]は、十一月の末に、田遊びや作物の祝言を執り行ふ。お火焼《ホタ》きの神事は、正月十四日の左義長や、除夜にあつた祇園の柱焼きの年占などを兼ねた意味のものであつて、初春を意味する日の前日にするはずのものだ。だから、上元の前日や、節分の日や、大晦日の夜に行ふべきのが、十一月中の神事ときまつてゐた。

     四

市はもと、冬に立つたもので、此日が山の神祭りであつた。山の神女が市神であつた。此が、何時からか、えびす神[#「えびす神」に傍線]に替つて来、さうして、山の神に仕へる神女、即山の神と見なされたり、山姥と言ふ妖怪風の者と考へられたりしたのである。だから、年の暮れ、山の神が刈り上げ祭りに臨む日が、古式の市日であつた。此意味で、天満宮節分の鷽替《ウソカ》へ神事などは、大晦日の市と同じ形を存してゐるのだ。其山の神祭りも、市神祭りの夷講も、十月にとり越されて居る。而も、冬祓への変形らしい誓文払ひは、夷講に附随してゐる。正月の十日夷も十四日或は除夜の転化した祭日で、富みを与へる外に、祓へてくれるものであつたので、此も、春待つ夜の行事であつた。其が、市神・山の神の祭りと共に、繰り上げられて、十月の内に行はれる様になつた。山の神の祠の火焼《ホタケ》は、やはり、十一月のお火焼き神事と一つものであつた。
海から来る常世のまれびと[#「まれびと」に傍線]が、やはり海の夷神に還元するまでは、山の神が代つて祓へをとり行うた。これは宮廷の大殿祭《オホトノホガヒ》や大祓へに、山人と認定出来る者の参加する事から知れる。山人は、山の神人であり、山の巫女が山姥となつて、市日には、市に出て舞うた。此が山姥舞である。
大和磯城郡穴師山は、水に縁なく見えるが、長谷川の一源頭で、水に関係が深かつた。穴師|兵主《ヒヤウズ》神は、あちこちに分布したが、皆水に交渉が深い。山人の携へて来るものが、山づと[#「山づと」に傍線]と呼ばれて、市日に里人と交易せられた。山蘰《ヤマカヅラ》として、祓へのしるしになる寄生木《ホヨ》・栢《カヘ》・ひかげ・裏白の葉などがあり、採り物として、けづり花[#「けづり花」に傍線](鶯や粟穂・稗穂・けづりかけ[#「けづりかけ」に傍線]となる)・杖などがあつた。柳田先生の考へによれ
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