摘んで持たせて遣つたのである。其は、元服の時には物忌みの標《シルシ》にかづら[#「かづら」に傍線]を被ることを意味する。今も、沖縄では其標に三味線かづら[#「三味線かづら」に傍線]を著けるが、殊に、久高島では、のろ[#「のろ」に傍線]は籐の様なものを御嶽から取り出して、頭に纏ふのを見ても、元服の時に花を挿したことは疑はれない。即、元服したと言ふ標をして、冥土に送るのである。かづら[#「かづら」に傍線]は、ものいみ[#「ものいみ」に傍線]の標である。
古く領巾《ヒレ》と言ふものがあつた。采女が著けたものだ。昔は、ずつと短かゝつたのであらう。其にしても、其用途は未だに、はつきりしてゐない。「領巾かくる伴のを」などでは、団体を示した様にも見える。女に限らず、隼人などもやつてゐた様である。まじなひ[#「まじなひ」に傍線]の為か、髪を包む為か、どちらかであらうが、私は、髪の毛を包む為に、まじなひ[#「まじなひ」に傍線]の力を持つてゐるのだ、と解したい。采女は、宮中の勝手向きの為事ばかりしてゐた、と考へるのは間違ひで、国造の女・郡領の女、即、国々の神主の女だつたのだから、皆巫女であつたのである。其
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