は影響のないことで、神功皇后は二人の主を持たれたので、仲哀天皇は夙く崩御されたのだ、と言ふ程である。だから、神に仕へる女は、真の処女(一)と、過去に夫を有つたことはあるが、今は処女の生活を営む者、即寡婦(二)と、夫を持つてゐても、ある期間だけ処女の生活をするもの(三)とに、分けることが出来る。
尚考へなくてはならぬのは、処女にも二通りある事である。此は男の側から言うても同じで、少年がまづ最初に元服すると、村の小さな祭り、即、道祖神祭りなどに与る事が出来、二度目に元服して、若者となつて、初めて、村の祭りに係る事が、出来る様になるのと同じ様に、少女にも、男の通ひ得るをとめ[#「をとめ」に傍線]と、真のをとめ[#「をとめ」に傍線]と二通りあつたのだ。結婚の資格の出来るのは、初めの元服、即|裳著《モギ》の後であらう。そして、二度目に元服する時に、はねかづら[#「はねかづら」に傍線]をしたのではなからうか。
壱岐の島では、独身者が死ぬと、途々花を摘んで頭陀袋に入れてやる。此を花摘み袋と言ふ。死んで行つても、生前村の祭事に与る資格のなかつた者は、行くべき霊の集合地に行つても、幅が利かないので、花を
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