#「かつらおび」に傍線]と称するものも、果して、桂女がするからさう称するのか、其とも、もとはかつら[#「かつら」に傍線]であつたのが、変つてからでもかつらおび[#「かつらおび」に傍線]を称せられたのか、色々と考へられる。ともかく、桂女と言ふのは、頭にかつら[#「かつら」に傍線]をしてゐたから、さう言はれたのだらう、と私は考へる。桂[#(ノ)]里に、必、住むものとは限らないから、偶然、桂[#(ノ)]里に住んでゐたのであらう。
かつら[#「かつら」に傍線]の呼び方であるが、かつら[#「かつら」に傍線]と清《ス》んで言ふのが正しいか、かづら[#「かづら」に傍線]と濁るのが正しいか。昔は音の清濁は、其ほど正確ではなかつたのだから、かづら[#「かづら」に傍線]と濁つてもよいので、寧、私の考へ方からいふと、かづら[#「かづら」に傍線]と言ふ方が統一がついて都合がよいのである。
さてかづら[#「かづら」に傍線]からどういふ風にして、はちまき[#「はちまき」に傍線]にまで到達する変化を経たか。
二
桂女が巫女であつた事はあたりまへで、柳田先生が「女性」の七巻五号に「桂女由来記」と言ふ論文
前へ
次へ
全15ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング