」に傍線]はそへ毛である。又、源氏物語末摘花の巻に、おち髪をためて、小侍従にかつら[#「かつら」に傍線]を与へた、とあるのは、髢である。
桂女の被るかつら[#「かつら」に傍線]、役者の著けるかつら[#「かつら」に傍線]と言ふ風に色々あるけれども、つら[#「つら」に傍線]はつる[#「つる」に傍線]と同じ語で、かづら[#「かづら」に傍線]はもと「頭に著ける」蔓草と言ふことであらう。蔓草を、ひかげのかづら[#「ひかげのかづら」に傍線]なる語にも見える様に、かげ[#「かげ」に傍線]とも称したことは、古今集東歌に、
[#ここから2字下げ]
筑波嶺《ツクバネ》のこのもかのもに、蔓《カゲ》はあれど、君がみかげに、ますかげはなし
[#ここで字下げ終わり]
とあるのを見れば訣る事で、此歌は、山のどの方面にも蔓草があると言うて、みかげ[#「みかげ」に傍線]即お姿と言ふ語を起した恋歌なのである。
あめのみかげ[#「あめのみかげ」に傍線]・ひのみかげ[#「ひのみかげ」に傍線]には、祝詞に現れたゞけでも四通りの意味があるが、最初の意味は、屋根の高い処から、垂れ下げた葛の事である。即、蔓草で作つたつな[#「つな」に傍線]に過ぎない。
五節のひかげのかづら[#「ひかげのかづら」に傍線]は、後に被りものになつてしまうた。出雲国造神賀詞にあめのみかび[#「あめのみかび」に傍線]といふ語が出て来る。「美賀秘」と書いてあるが、みかげ[#「みかげ」に傍線]の書き違へか、伝へ違へであらうと言ふから、やはり頭に被るものである。播磨風土記にも蔭山[#(ノ)]里の条に、御蔭とあり、同じく被りものゝ意に用ゐてある。此等は、皆、被りものに近づいたもので、物忌みのしるし[#「しるし」に傍線]であり、神に仕へる清浄潔白な身であることを示すのである。所謂たぶう[#「たぶう」に傍線]である。冠の巾子《コジ》を止める髻華《ウズ》は、後に簪となるのであるが、此はもと、かづら[#「かづら」に傍線]から固定して、此様な別な意味を持つ様になつたのであらうと思ふ。
正月十四日の夜、宮中で行はれた男踏歌には、高巾子《カウコンジ》といふ白張りの高い巾子を著けて、踊つて出た。踊つて出るものは、綿で顔を蔽うて出た。勿論、絹綿《マワタ》であらう。眼だけ出して、高巾子の著いた白張りの冠を被つたので、支那の不良の徒の姿をまねたのだ、と言はれてゐるが、
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