#「かつらおび」に傍線]と称するものも、果して、桂女がするからさう称するのか、其とも、もとはかつら[#「かつら」に傍線]であつたのが、変つてからでもかつらおび[#「かつらおび」に傍線]を称せられたのか、色々と考へられる。ともかく、桂女と言ふのは、頭にかつら[#「かつら」に傍線]をしてゐたから、さう言はれたのだらう、と私は考へる。桂[#(ノ)]里に、必、住むものとは限らないから、偶然、桂[#(ノ)]里に住んでゐたのであらう。
かつら[#「かつら」に傍線]の呼び方であるが、かつら[#「かつら」に傍線]と清《ス》んで言ふのが正しいか、かづら[#「かづら」に傍線]と濁るのが正しいか。昔は音の清濁は、其ほど正確ではなかつたのだから、かづら[#「かづら」に傍線]と濁つてもよいので、寧、私の考へ方からいふと、かづら[#「かづら」に傍線]と言ふ方が統一がついて都合がよいのである。
さてかづら[#「かづら」に傍線]からどういふ風にして、はちまき[#「はちまき」に傍線]にまで到達する変化を経たか。

     二

桂女が巫女であつた事はあたりまへで、柳田先生が「女性」の七巻五号に「桂女由来記」と言ふ論文を載せられて、色々材料も提供せられてゐるが、女が戸主であつたこと、将軍家に祝福に行つたこと、御香《ごかう》宮に関係のあつたこと、それから巫女であつた事に間違ひはない。社から離れても、巫女であつた事は事実である。そして、かづら[#「かづら」に傍線]を頭に纏いてゐたからかつらめ[#「かつらめ」に傍線]と称したので、かつらまき[#「かつらまき」に傍線]・かつらおび[#「かつらおび」に傍線]のかつら[#「かつら」に傍点]も、かづら[#「かづら」に傍線]である。
かづら[#「かづら」に傍線]には、ひかげのかづら[#「ひかげのかづら」に傍線]・まさきのかづら[#「まさきのかづら」に傍線]が古くからあり、神事に仕へる人の纏きつける草や柔い木の枝などで、此が後のかもじ[#「かもじ」に傍線]となるのである。髢《カモジ》は、神々の貌をかたどつたから、称するのだといふが、かつら[#「かつら」に傍線]の「か」を取つてか文字[#「か文字」に傍線]と言うたのが、ほんとうであらう。倭名鈔にかつら[#「かつら」に傍線]・すへ[#「すへ」に傍線]とある。かつら[#「かつら」に傍線]は頭全体に著けるもので、すへ[#「すへ
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