からだ」に傍線]の長大な事をば形容して、三谷二渡《ミタニフタワタ》らすとさへ云うてゐるではないか。此は美しさを輝く方面から述べたのではなく、水から来る神なるが故に、蛇体と考へてゐたのである。
かうした土台があつた為に、夏秋の交叉《ユキアヒ》祭りは、存外早く、固有・外来種が、融合を遂げたのであつた。其将に外来種を主とする様に傾いた時期が奈良の盛期で、如何に固有の棚機つ女に、織女星信仰を飜訳しようとしてゐるかゞ目につく。此様に訪ねて来た神の帰る日が、その翌日である為に、棚機祭りにくつつけて、禊ぎを行ふ処すらある。畢竟、祓へ・棚機の関係は、離すべからざるもので、暦日の上にあるいろんな算用の為方は、自然に起つた変化と見てよい。第一に禊ぎ自身が、神の来る以前に行はれる――吉事を期待する所謂吉事祓へ――行事であつた筈である。それが我々の計り知れぬ古代に、既に、送り神に托して、穢れを持ち去つて貰はうといふ考へを生じて来た。今日残つてゐる棚機祭りに、漢種の乞巧奠は、単なる説明としてしか、面影を止めてゐない。事実において、笹につけた人形を流す祓へであり、棚機つ女の、織り上げの布帛の足らない事を悲しんで、
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