からだ」に傍線]の長大な事をば形容して、三谷二渡《ミタニフタワタ》らすとさへ云うてゐるではないか。此は美しさを輝く方面から述べたのではなく、水から来る神なるが故に、蛇体と考へてゐたのである。
かうした土台があつた為に、夏秋の交叉《ユキアヒ》祭りは、存外早く、固有・外来種が、融合を遂げたのであつた。其将に外来種を主とする様に傾いた時期が奈良の盛期で、如何に固有の棚機つ女に、織女星信仰を飜訳しようとしてゐるかゞ目につく。此様に訪ねて来た神の帰る日が、その翌日である為に、棚機祭りにくつつけて、禊ぎを行ふ処すらある。畢竟、祓へ・棚機の関係は、離すべからざるもので、暦日の上にあるいろんな算用の為方は、自然に起つた変化と見てよい。第一に禊ぎ自身が、神の来る以前に行はれる――吉事を期待する所謂吉事祓へ――行事であつた筈である。それが我々の計り知れぬ古代に、既に、送り神に托して、穢れを持ち去つて貰はうといふ考へを生じて来た。今日残つてゐる棚機祭りに、漢種の乞巧奠は、単なる説明としてしか、面影を止めてゐない。事実において、笹につけた人形を流す祓へであり、棚機つ女の、織り上げの布帛の足らない事を悲しんで、それを補足しよう――「たなばた[#「たなばた」に傍線]にわが貸すきぬ」などいふ歌が、此である――といふ、可憐な固有の民俗さへ、見られるではないか。だから、この日が、水上の祭りであることの疑念も、解ける訣である。
中尾逸二さんの郷里で行はれた「なのか日」の行事が、又一面、たなばた[#「たなばた」に傍線]祭りの面影を見せてゐる。他から来る神を迎へる神婚式即、棚機祭り式で、同時に、夏秋の交叉を意味するゆきあひ[#「ゆきあひ」に傍線]を、男《ヲ》神・女《メ》神のゆきあふ祭りと誤解し勝ちの一例を見せてゐる。すべての点から見て、たなばた[#「たなばた」に傍線]祭りは、霊祭りと、本義において、非常に近い姿を持つてゐる。

     二

七夕から盆へ続く間には、わが国の民俗の上に、意味のある行事が多くあつた。其中、最注意せられるのは「生き盆」即「いきみたま」の祭りである。この頃、聞く事甚稀になつたが、以前は盛んであり、此に関する文献も、可なり古く、溯れる様に思ふ。室町の頃から見える「おめでたごと」と、一つ行事である。
我々の過去には、正月の「おめでたう」の上に、今一度「おめでたう」を盆に唱へて、長上
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